自分が創ったルール・観点から自由になり、思った通りに生きる方法
「0=∞=1」的 Life Style




秋の夜長に、自分と付き合ってみる

こんにちは。

 

 

今日は、”最近の気づき” をシェアします。

 

 

話していて ”自分の"感情が揺れるところ" を、最近観察しています。

 

どんなシチュエーションの時に心が揺れるのか、

その時にどんな感情が出て来るのか、

どんな相手や言葉に反応するのか、

それらと自分の生きる方向性との関係性はどうなっているのか、とか。

 

気づいたのは、

「勉強」とか「学び」というイメージが、

学校に行くとかセミナーを受けるとか特別のシーンのイメージではなく、

日常のコミュニケーションの中とか関係性の中にあると思っている、ということ。

 

優れているとか、知識や経験豊富とか、

持っている者から持っていない者へ一方的に流れる、とも思っていないので、

年齢が上とか下とか、男性とか女性とか関係なく捉えているところがあります。

 

なので、日常のコミュニケーションに学びや成長のヒントがあり、

どっちかと言ったら、すごく大切に考えている方。

 

もっと言うと、

社長とか部長とか役割が高いの方々から

自分にはない観点を教えてもらう、と言うこともあるけれど、

赤ちゃんや動物や自然とコミュニケーションしながら学ぶことや教わることも、

計り知れないと捉えていて。

 

あんまり差がないんですよね。

 

今回の話は、My Storyとも近くなる内容にはなりますねー

 

 

なので、私の感情が揺れるとこ、揺れるシーンと言うのは

スバリ!

「自分の主張だけが繰り広げられる」と

私が感じるシーンに出会うと反応します!(パンパカパーン 笑)

 

感じたこととか、思ったことをそのまま表現できることは

奥ゆかしい日本人の観点からしたら、素晴らしいことだと思います。

 

が、私の脳の中でいろんな役割の ”小人” が脳内会議をすると、

状況や相手の状態関係なく、

自分の主張だけが繰り広げられるようにみえてしまい、

学び合う観点や育て合う観点には感じられず、反応してしまうのです。

 

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認識=存在
おぉ。。。怖い。

 

「自分の主張だけが繰り広げられる」と私の認識は捉えているけど

そういう相手やシーンだと自分が認識するから

学び合う観点や育て合う観点じゃない相手やシーンを

自分が存在させていたとはっ!!!

 

私が感じている

学び合い、育て合いのイメージがない状態というのも

私の認識、私の観点な訳なんですよねー

 

 

存在や心の居場所を提供する、

相手がどう思うか、どう受け取るか、

その言葉が相手に入った時に出てくる感情にまで配慮する、

そんなことができる関係性やそんな優しい世界を

創って行きたいなぁ。。。

 

としみじみ思う秋の日。

 

お後がよろしいようで(笑)