自分が創ったルール・観点から自由になり、思った通りに生きる方法
「0=∞=1」的 Life Style




言語の限界 と たとえば母とのコミュニケーション

 

 

こんにちは

 

 

前回のブログの写真に

彼岸花をチョイスしました

 

 

この季節

ひとつ ひとつ

そっと灯がともるように

咲き始めます

 

 

大好きな花でもありますが

ちょっと切ない思い出もあり

自分の中で大事にしたいお花のひとつです

 

 

 

 

さて今日は

記憶に残る母とのやりとりを

ひとつ

ご紹介

 

 

 

10代に戦争を経験した母は

「○○がしたい」

「○○が食べたい」

としたいことや希望を言うたびに

私を叱りました

 

「なぜこの子は、自分、自分、と言うんだろうねぇ」と


自分のお思っていることは

伝えないとわからないと思っていたし

文法的に何が間違っているのかわからなかった私は

母に言われるたびに

子供ながらにかなり混乱しました

 

 

どうしたらいいのか質問をしても

母は応えてくれませんでした

 

 

花も盛りの頃に戦争を経験した母は
個人の希望や望みを抑え

耐え忍んでみんながうまくいくように

全体を優先していました

 

当時を生きた諸先輩方々の

全体を優先するその気持ちのおかげで

日本を破滅させずに命を紡ぎ

今があります
(感謝。。。)

 

ご近所の彼岸花



主語+述語で表現しなければ

どう意思表示をしたらいいのだろうか

主語を除いた表現でどう伝わるのか

かなり私は探求しました

 

 

ありとあらゆる言語を駆使しても

主語を発した時点で

どーやっても述語がやってくる

 

 

因果関係が成立してしまい

それぞれのイメージが生まれる

 

そのイメージは

私が伝えたかったイメージとは程遠く

受け取った相手の生きた年代や育った環境

知識 経験 体験からオートで想起されるので

結局 伝わらないことを多く経験し

私は悲しみを深めることになりました

 

 

日常は そんなことの繰り返し
えぇ 本当に

 

 

というか

日常ってそんなものですよね

と期待することもやめました

 

 

言葉や単語を使って伝達しようとすると

単語のそれぞれにイメージが載っていくので

私からはどんどん分離し

切り離されていくに過ぎませんでした


どんどん遠ざかっていく私の言葉

 

 

そしてそれは私だけではなく

言語体系の仕組みそのものであって

実は言語が限界なんですよね

 

 

単に

英語が話せない

韓国語がわからない

というレベルではなく

言語自体が限界をもったコミュニケーションツールなんです

 

 

そうしてできあがっていった

個の中に閉じこもる時代

(世界的なコロナパンデミックも手伝って)

 


個人主義が蔓延した今

オールゼロ化感覚

無概念出発を伝えるnTechと出会った私

 

今なら

母の表現したかった世界がなんとなくわかる気がする


そして

個人主義の終焉

 

スタグフレーションや気候変動など

様々な世界的規模の人類への挑戦を前に

また新たな扉を人類は開かないといけない

 

 

個人主義から共同体主義

悟ったコミュニティが

これからの時代を牽引する




今日はこの辺で

 

 

あんにょん