自分が創ったルール・観点から自由になり、思った通りに生きる方法
「0=∞=1」的 Life Style




ちょっとブレイク わたしStory2

こんにちは。

 

 

 

今日は、何回かお伝えしている ”My Story” の続編です。

 

 

 

最近、思うんです。

「自分が思う自分」って何だろう?

「他人が思う私って、どんな人なんだろう?」って。

 

単語に対するイメージは、人それぞれ。

他の人と全く一致するということは無いに等しく、

別々の宇宙が立ち上がっている、と言っていいほど。

 

「私」のでき方、構成している要素について書いておきます。

 

 

 

私の母は、

思春期の多感な時期の、中学生から高校生の時に戦争を体験し、

自由な昭和初期の日本の雰囲気から一変、

全体主義に一気に傾き突き進む、

生死が隣り合わせにいつもある緊張状態の日本を生きてきました。

 

私はその時代に生きていた訳ではないので、想像にはなってしまいますが、

かなり衝撃的な変化だったんじゃないかと思うんです。

 

 

 

ある日突然、国全体の方向性が変わったのですから。

 

 

 

自分のことより全体を優先する、全体主義に思春期を生きた母。

彼女の判断基準の形成に、「全体主義」が入らないわけがありません。

 

そう、そして、

その母の海で育った私に、全体主義が入らないワケがありません。

 

 

私は女性ですが、

比較的、感情を横に置いておくことができます。

 

感情に支配されて動けなくなる、ということもあまりなく、

かと言って、感じたことを表現できないワケでもなく、

どちらかと言うと、

全体の目的目標を達成するためにどうしたらいいか、

何が課題で何が足りないのか、など

結構、論理的に思考展開できるタイプにまんまと育ちました(笑)

 

そう。

母親の影響大!で、私の判断基準にも全体主義が潜んでいるのです。

 

 

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個人主義が主流の現代、

AIの台頭により、今一度、結集しようという人間の流れが来ています。

個人を超え、共通のビジョンや信頼関係で団結できないと

AIのクラウドやDeep-learningに負けてしまうから。

 

私たち人間の尊厳を守るため、

人類が新しい時代を切り開こうとしている瞬間が

今の時代とも言えるでしょう。

 

 

AIに代替できない、人間ならでは技術がないと、

自分や大切な人の尊厳さえも守ってあげられない。

 

 

一見、全体主義に戻るのか?とも見えますが

そんな今、この時代に何が必要なのか考えてみました。

 

 

【自分と自分の宇宙は実在しない】= All Zero化感覚

 

過去の知識、経験、体験、イメージを全て一旦Zero化し、

All Zero化され、何も無いところから、

今ここ目の前の事象、現象、人と出会わないと、

何かイメージに支配された状態=質量(重さ)がある状態で出会ってしまう。

 

質量を持った状態で出会う限り、

ぴったり一致するということは無いので質量の差が生まれ、相対が生まれる。

自己否定、他人否定、上下、持てる者持たない者、富める者貧しい者、

終わらないジャッジ。

 

どれだけZeroになれるかが、

自分を含めた人類がいく次のステージ。

 

私に潜んでいる全体主義をAll Zero化し、

何も存在しないところから、

質量を持たない状態で

ゲーム感覚でどうこの目の前に映る

現実っぽく見えるゲームを攻略していくか。

 

All Zero化できる技術って、

人類の。。。

っていうか私の救世主です(笑)