なぜ世界は存在しないのか、存在が存在しないことが当たり前になる日
こんにちは。
今日は、”ある本との出会いと時代の流れ” についてです。
昨年末出会った書籍で、とても興味深い本がありました。
ドイツの哲学者 マルクス・ガブリエル著書
「なぜ世界は存在しないのか」 ↓コレ
日本語に訳され2018年1月に発刊、3万部を超える世界的ベストセラーとなってます。
世界的なベストセラーということは、
国や言語、文化、歴史を問わず、
たくさんの人間が興味があるジャンルだということ。
誰もが「世界はある!」と信じて疑わないものが、
実はないんだ!と言っている書籍である。
しかも、それが世界的にベストセラーになっているということ。
時代の流れを感じます(笑)
1996年から一貫してNoh Jesu氏は
www.noh-jesu.com
「自分と自分の宇宙は存在しない」と伝えていたが、
宗教?とか、おかしな人みたいに言われていた。
世界的に哲学の観点からも
存在は存在しないことが、着々と証明されてきている。
その本には、こんなことが書いてある。
「人間はそもそも全体を認識することができない」
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じゃ、全体が認識できない人間は、どんな認識の仕組みをしているというのか。
部分情報を重ね合わせ、
全体だと錯覚をしているということ。
そして先日、たまたま夜中につけたTVで
先に紹介した、マルクス・ガブリエルの特番をやっていた。
↓
時間の概念。。。
”「今」と言った時、もうすでに「今」はもうない”
発した瞬間、泡となって消えていってしまうかのような今という時間。
番組の中で、こんなことも言っていた。
”言葉は現在から未来に向かうのではなく、未来から現在を規定する”
最大に興味深かったのは、
”私は他者との関係性の中にのみ、私は存在する”
”他者からの投影を想像し合っていて、
幻想の産物しかなく、自分というものは存在しない”
ということ。
私という存在は存在する訳ではなく、
他者が私という存在を、関係性の中で存在させてくれるのである。
話を戻すと、
部分認識しかできない私たち人間は、どう生きたらいいのか。
番組では
「世界は存在しない。
全体を求めず、細部に引きこもらず生きるのがいい」
と終えている。
諦めて生きるしか、人間の生きる道はないものなのか?
今こそ、nTechの出番じゃないか。