私が今ここにいる背景
こんにちは。
今日6月8日は、母の誕生日。
91才になりましたーーーー🧡
誕生日、おめでとう!
人生100年時代と言われていますが、
ウチの場合は ”今ここ” に100年時代があります(笑)
誕生日イブの昨日、一緒に食事をした際の会話の中で、
「長く生きてきたけど、ちっともいいことなかった。
2才しか違わない(母の姉のこと)のに、どうしてこんなに。。。」
とボヤき始める母。
せっかく戦火をくぐり抜け、長生きしているのに、
自分からわざわざ誕生日のお祝いの席で気分を下げなくてもー
と思い、話をそらす娘(私)。
母は、4人兄姉の末っ子。
「叔母ちゃん(母の姉)とは、2つ違い?」
「じゃ、その上の叔父さん(母のすぐ上の兄)とはいくつ離れているの?」
と聞いてみた。
兄①、兄②、姉、母のレイアウトながら、
長男・長女が大事にされる時代背景もあり、
次男の兄②と次女の母の歩んだ道は、生きにくく大変だった。
母の姉は、60才で認知症を発症し子供に帰った。
その差30年、
91才になった母は、意識を持ちながら今を生きている。
その間、楽しい思いもあったんじゃないか?と尋ねてみた。
母は、
「叔母ちゃん(母の姉)は記憶も意識ももうないから、
本人からしたらその方が幸せなんじゃないか」と言う。
母の苦労話は、私の子供の頃の時代に遡る。
彼女の頑張りを一番そばでみてきたので、
話に出てくるシーンの数々は、
子供の目線からの映像で、私の中にも残っている。
家族って何だろう
血の繋がりって何だろう
一緒に住んでいれば家族なのか
一緒に住んでいなければ家族ではないのか
記憶って何だろう
意識って何だろう
脳がみせる映像(ホログラム)と真実の世界の関係は?
そして、尊厳って何だろう
自分のことを認識できる。
アイデンティティを自分で決められる。
その素晴らしさは、
日本を創ってきてくれた人たちの
”今” から考えさせられる。
少なくても母の30年間は、
尊厳溢れた時間だったのではなかったのかと
私は思う。
写真でいうと、カラー写真のように色彩に溢れた時間。
出会ってくれて、ありがとう。