在ること無いこと、存在させること消えること
こんにちは
ニューノーマル時代について最近書く機会が増えていますが
本当にスゴい時代に私たちは今ここ
生きているんだなぁと思います
条件、状況、環境が少し変化しただけで
こんなに人が死んで
世界中が困惑し、窮屈な生活を余儀なくされている
生き方のモデル、成功パターン、正解がない時代
映画のようじゃないですか?
まさか3年前
こんな自体になると
こんな状況に
自分が置かれると思った人いましたか?
私は少なくても、想像もしていませんでした
過去の映像や記録、写真や動画を観るたびに
今この瞬間、ゲームの中に実はいるんじゃないか??
と錯覚を起こす
あのときはこうだったな。。。と思って
懐かしがる時がくるんでしょうね
前回のブログで、出会った絶望のさわりの部分を書きました
少し続きを書きますね
私が出会った絶望は
不安と孤独、そして緊張
その状態がたまたま10ヶ月間続いた
その結果どこに行き着いたのか、というと
不信だったんですね
不安と孤独と緊張が、結果的に不信を育てた
この感覚、感情と出会った時に
心臓を掴まれた感覚、痛みがきました
あぁ、人類が手放すことができなかった苦しみは
これだったんだ。。。
存在を認めた時から
不信は始まるし、緊張するし、孤独だし、存在できない不安がくる
存在が消えること
自分を消すこと
相手を消すこと
主語が消えること
それこそが愛であり、慈悲であり、尊厳を守ることであって
体の範囲が自分という呪縛から
自分の範囲の拡張がここから始まる
このことを教える心の教育が
本当に必要な時代
これこそがニューノーマル時代なのではないか
今日はこの辺で
あんにょん